江戸時代、冷泉家の屋敷には8棟の土蔵がありました。国宝の藤原定家筆『古今和歌集』や『明月記』など主に平安・鎌倉時代の典籍を収蔵する「御文庫」、江戸時代の典籍を収蔵する「御新文庫」の2棟の書物蔵。軸、屏風、茶道具、乞巧奠などの節句行事に用いられる道具などを収蔵する6棟の道具蔵。これらの蔵は、1788年に京都の大半を焼き尽くした天明の大火の際にも焼け残り、収蔵物を守ってきました。
しかし戦後、年を経て朽ちた道具蔵3棟が崩れてしまいます。当初、行き場のなくなった収蔵物は、残りの蔵に納めていましたが、あまりにも収蔵物の数が多く、残った3棟の蔵は物にあふれ足の踏み場もないほど。整理も行き届かなくなっていたため、やむなく敷地内にプレハブの倉庫を設け、一部をそこに仮置きせざるを得なくなったのです。新たな収蔵庫の建設が課題となっていましたが、資金の問題などからなかなか計画が進みませんでした。そのプレハブも2018年の台風により収蔵に耐えない状況に。現在は、敷地内の他の場所に移したり、他所に分散して預けたりしている状況です。江戸時代に宮中との文書を交わす際に使った文箱や大量の短冊、当時の様子を伝える歴代当主の日記類、装束など本来蔵で保管されるべき歴史的に貴重な資料や道具を守るためには、いつまでもこのままではいられません。そこで収蔵庫を新築する計画を具体化し、2020年6月、敷地の北端に新しい「北の大蔵」の建築工事を開始することになりました。
「北の大蔵」は東西14メートル、普通の蔵の2倍以上の巨大な蔵です。特色は「土でつくられた蔵」だということ。現代的なコンクリートの蔵では何世紀にもわたって文化財を守ることはできません。コンクリートの建造物は、密閉性が高いため動力を使った空調設備が必要になります。こうした設備は、動力が断たれたときの対処が難しく、室内に吹き込む風が一定方向であるため、収めた財の位置をたびたび変えなければ適切な保存環境を維持できません。これに対して土の蔵は、収蔵庫内が自然に近い環境で保たれ、耐火性にも耐久性にも優れた理想的なものなのです。自ら呼吸し、柔軟でありながら堅牢な土蔵であるからこそ、歴史を守ることのできる蔵と成り得るのです。納める品々は、少なくとも江戸時代からの400年間、土蔵に収蔵して伝来したものです。京都御所のそばに立地するため、歴史を感じさせる景観との調和も考え、冷泉家においては土蔵建築が適切であると考えています。
そしてこの歴史的な事業を記録し、多くの方々にご理解いただき、その経緯を後世に伝えてゆくために、進捗中の北の大蔵建造の過程を随時みなさまにお届けしたいと思います。