文庫だより冷泉貴実子
やまと歌がたり

冷泉貴実子
やまと歌がたり
第五歌

聞き書き・田中康嗣

三千年に なるてふ桃の 花咲けり 折りてかざさむ 君がたぐひに
落窪物語

桃の節句。冷泉の家の数ある行事の中でいちばん楽しい思い出が詰まっています。この節句行事の最後に、ひな飾りを片付けるのですが、その前の日に雛道具のお膳にご馳走を盛って皆でそれをいただくのです。ひな壇に飾られていた雛道具の小さい小さいお椀やお皿を使って、家でつくった美味しいお料理を食べるのです。盛り付けの時から大騒ぎ。赤飯や白味噌のお汁、大根なますや焼き鰈。お友だちと一緒に、女の子が主役になる本当に楽しい行事でした。

中国に「漢武帝内伝」という書物があります。前漢の七代目の皇帝である武帝にまつわるお話しが書かれています。その中に、西方の崑崙山に住む西王母という仙女が出てきます。西王母は天界にある瑶池に住む蟠桃園の主人。そこにある桃は三千年に一度だけ実を結ぶ不老長寿の仙薬なのです。武帝は降臨した西王母からこの桃を受け取って食べたと言うお話し。武帝は、食べ終わった桃の種を植えて育てようとしますが、その桃は天界でしか育たないと言われて諦めるのですがね。さてその西王母のお誕生日が三月の三日。この日には、天界の神々が瑶池に集まって皆で桃を食べる蟠桃会という行事が執り行われるのです。これが、三月三日桃の節句の起源。中国では桃という果物に特別な霊力が込められているようですね。桃源郷で有名な陶淵明の『桃花源記』や孫悟空が桃を食べてしまう『西遊記』などが良く知られています。お正月には邪気を払う桃板を門に立てる風習もありました。これらが日本に伝えられて、三月三日は桃の節句に。「三千年(みちとせ)になるてふ桃の」というのは、西王母の蟠桃園の桃のことですね。不老長寿の仙桃です。ちなみに、冷泉の家でも雛人形を飾るのですが、その中にひときわ大きな西王母の人形も並びます。唐風の衣裳を着けて扇を持っています。床の間の掛け物も西王母の三幅対。西王母は桃の節句の象徴なのですね。

さてその桃の花を手折ってかざしましょう「折りてかざさむ」です。かざす、というのはつまり簪(かんざし)のことなのですが、今の日本人の感覚ですと、簪は女性が挿すものですよね。けれど昔は男の人が挿した。烏帽子や冠を簪や笄(こうがい)で髪に留めたのです。綺麗な桃の花を髪に挿すのは、もちろん美しいから、ということもありますが、ただ美しいということだけではありません。三千年に一度の桃の花ですから、不思議な霊なる力をも身につけることになるのですね。五月に行われる葵祭では、平安装束を身にまとった人々の行列をご覧になることができます。そこでも、烏帽子に葵桂(あおいかつら)という桂の枝に双葉葵の葉を巻き付けた飾りをつけますよね。これもやはり、霊なる力を身にまとう、ということなのです。この「折りてかざさむ」には、つまり、今私たちが考える髪飾りとしての簪、ただ美しい装飾を身につけるということとは少し異なる思いが込められているのです。西王母の桃に秘められた霊力をわが身にもまとわせましょう、というような意味が含意されているのです。そしてその霊力のおかげで、「君がたぐひに」つまりあなたのように長寿になれれば、と願うわけです。

西王母の桃の霊力に導かれて皆の長寿を祈る桃の節句。中国の神話から連なる長い歴史の積み重ねを今に伝える行事なのですが、私にとってはともかく楽しい思い出ばかり。我が家のひな壇に飾られる雛道具が、どれもこれもいささか傷んでしまっているのは、小さな女の子がこの日ばかりは主役として堂々と道具遊びに興じることができた証なのですね。(第五歌・了)

落窪物語[おちくぼものがたり]
平安時代中期の物語。10世紀末頃の成立。全4巻。作者未詳。源順(みなもとのしたごう)とする説もある。『住吉物語』とともに当時流行した継子いじめの物語。シンデレラと同様の構成で、継母の冷遇を耐え忍んだ姫君(落窪の姫)が貴公子(右近の少将)と結婚して幸福を得、継母は報復される、という物語。題名の「落窪」は、畳の落ち窪んだ陋屋だった主人公の姫君の居室の名に由来する。『源氏物語』に先立つ中古の物語で『枕草子』にも言及がある。倫理的主張を打ち出さず、客観的に貴族の家庭内での継子いじめを叙述する写実的構成に特色がある。


プロフィール

冷泉貴実子

事務局長 第24代当主為任・布美子の長女。
趣味は海外旅行と絵を描くこと。
陽気で活発な性格で、仕事に、遊びに、イベントにいつも大忙しです!

田中康嗣

特定非営利活動法人 和塾 代表理事。
大手広告代理店にて数々の広告やブランディングに携わった後、和の魅力に目覚め和塾を設立。
日本の伝統文化や芸術の発展的継承に寄与する様々な事業を行っています。詳しいプロフィールはこちらから。

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