袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ
紀貫之
この歌は、古今和歌集の二番目に記されています。作者は紀貫之。古今和歌集の選者のひとりで、有名な仮名序を書いた人でもあります。歌には、「春立ちける日よめる」という詞書(ことばがき)が添えられています。春の立つ日、つまり立春に詠まれた和歌です。春の到来による再生の慶びを詠み込んだ清々しい一首です。
初句の「袖ひちて」、というのは、袖を濡らしてという意味。ひづというのは、上二段活用の動詞です。どうして袖が濡れたのかというと、水を両手ですくったのですね。「むすびし」というのは、手のひらで掬(すく)うことをいいます。おむすび、つまり握り飯もこの言葉から来ていると言いますね。掬った両の手から水が滴って袖を濡らしている。ここまでは夏の日の景色を詠んでいます。空調設備などない平安の頃は、流水に手を浸すだけでも納涼になったのです。暑い夏に涼しさを呼んでいたそんな水も冬の厳しい寒さの中では凍ってしまいます。三句で季節は冬へと進んでいます。今の人は、氷といえば夏を思うことが多いのではありませんか。冷たいカキ氷で納涼。氷と染め抜いた旗が暑気に揺らめいている。昔の人は、そうではありません。氷といえば長い夜と凍てつく日々の冬を象徴するもの。その氷が、春の訪れで解け始めます。中国前漢の書物『礼記』の中に、「孟春の日、東風凍を解く」とあり、和漢朗詠集には白居易の「池に波紋有りて氷尽く(ことごとく)開けたり」とあるのを踏まえた表現です。「春立つけふの風やとくらむ」、つまり立春の今日の風が冬の間に凍った氷を解かしていることでしょう、ということです。「らむ」というのは推量を表す語ですから、目の前で氷が解けているということではありません。これもまた、日本の和歌に特有な、ある種の型の表現。春になると、陽が少し長くなり、冷気を緩ませるような風が吹き始め、水面の氷が春風を受けて解けてゆく。生命が再び蠢き始める幸福感に満ちた季節の訪れです。
立春というのは二十四節季の始まり。唱歌『茶摘み』で知られる八十八夜や、夏目漱石の小説『二百十日』などに見られる季節の区切りは、この立春を起点に数えられています。一番夜の長いのが冬至、夜と昼がちょうど半々になるのが春分ですが、立春はその冬至と春分の中間にあります。節季の始まりであり、春の始まりであり、一年の始まりであったのがこの立春なのです。旧暦の元旦は立春の前後に設定されていました。なので、12月の旧年中に立春を迎えることや、新年明けてから立春を迎えることがありました。ややこしいことです。古今和歌集の第一歌「年のうちに春は来にけり一とせを去年とはいはむ今年とはいはむ」がこのことを詠んでいます。年内に立春が来てしまった。これから大晦日までは去年なのか今年なのか。どちらなのかわからないまま、古今集以来千年以上の歳月が流れている。まことに日本人というのはあいまいであります。西洋の人ならどちらかきっぱり白黒をつけそうですが、日本人はその曖昧なことを楽しんでいたのでしょうね。ノーベル文学賞を受賞された大江健三郎さんの講演のタイトルも「あいまいな日本の私」でしたね。
この歌は技巧を仕込んだことでも評価されています。袖という語に関わる言葉、これらを「縁語」というのですが、むすぶ(結ぶ)・はる(張る)・たつ(裁つ)・とく(解く)が連鎖して歌を構成している。中国の古典を背景にして、練り込まれたやまとことばで、めぐる季節を表現したこの歌は、わが国で最初に編纂された勅撰和歌集の巻頭第二歌に選ばれています。曖昧な冬の終わりと春の始まりを、再生を経て回帰し連鎖する日本の春の美しさを象徴する貫之さん渾身の一首なのでしょうね。(第14歌・了)
紀貫之[きのつらゆき]
平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。官位は従五位上。『古今和歌集』の選者の一人で、三十六歌仙の一人。延喜5年(905年)醍醐天皇の命により初の勅撰和歌集である『古今和歌集』を紀友則・壬生忠岑・凡河内躬恒と共に撰上。「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」で始まるその仮名序を執筆している。勅撰和歌集に435首の作品が入集しており、これはあらゆる歌人の中で最多数である。
人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける(古今42)
思ひかね妹がりゆけば冬の夜の川風さむみ千鳥なくなり(拾遺224)
プロフィール
冷泉貴実子
事務局長 第24代当主為任・布美子の長女。
趣味は海外旅行と絵を描くこと。
陽気で活発な性格で、仕事に、遊びに、イベントにいつも大忙しです!
田中康嗣
特定非営利活動法人 和塾 代表理事。
大手広告代理店にて数々の広告やブランディングに携わった後、和の魅力に目覚め和塾を設立。
日本の伝統文化や芸術の発展的継承に寄与する様々な事業を行っています。詳しいプロフィールはこちらから。