奥山に もみぢふみ分け鳴く鹿の声聞く時ぞ 秋は悲しき
猿丸大夫
皆が共有できる思いを言葉に映していく、それが和歌なのだ、という話しをしましたね。この歌は、それがとてもわかりやすい一首です。しみじみとした秋の気分。誰もが感じられると思います。奥山の紅葉を踏み分けたことがなくても、鹿の声を耳にしたことがなくても。秋はなんだか少しものがなしい。日本の秋のイメージが広がりますね。
この歌には、共通のイメージ、つまりある種のわかりやすい型が詠み込まれています。紅葉と鹿です。これもまた、伝統工芸の作品などにたくさん見られるモチーフですね。花札にもある。日本では、紅葉といえば、そこに鹿がいる。そしてそれが、深まりゆく秋を象徴しています。これは、明治になって西洋からやってきた美、つまりいわゆる「芸術」とは違う、もうひとつの「美」なのです。芸術家が創る個性的で独創的な美ではなく、誰もが皆で共有できる美しさ。和歌というのはそれを、つまりみんなの綺麗を創り出す文芸なのです。
晩秋というのは、寂しい季節です。冬が間近に迫っています。昔の人は、日の長さで季節を知ったのですが、秋も深まってくると、日がだんだんと短くなって、暗くなるのが早くなります。冬というのは、草木が枯れて、命が尽きてゆくような季節です。晩秋はその冬へと向かう日々。紅葉ももう木々の枝を離れ、落ち葉となって大地に敷き詰められています。綺麗な景色ですけれど、どこかものわびしい。そこに鹿の声が聞こえてくる。牡の鹿は妻を求めて秋の野山に鳴くと言われています。本当に鹿のつま恋の声を聴かなくても良いのですよ。皆が共有できる共通のイメージですから。寂しくて侘しい秋の情景です。日本人はそんな季節をも愛でたのです。静かに更けてゆく、悲しき秋も良いものだな、と。悲しいけれど、悲しい美もある。寂しさや侘しさも愛おしい。ただ楽しいとか嬉しいとか、ただ苦しいとか辛いとかではない。そんな単純な話しではないのです。悲しき秋の中に喜びがある、といったら言い過ぎでしょうか。奥山の紅葉を踏み分けて感傷的になっている。けれど、感傷的になるのは悪いことではないでしょう。季節を感じて心を動かされるというのは、とても良いことですから。
ここで鳴いている鹿は恋をしています。けれど、恋の相手がいない。奥山の紅葉を踏み分けて探しても見つけることが出来ない。鳴き声を野山に響かせても、恋する相手はやって来ません。その声はひときわ寂しい。でも、ただ悲しいということではありません。そうした苦しい恋のある人生も含めて美しいのです。日本の美です。
個人の思いだけで歌を詠むのなら、紅葉と鹿をモチーフにする必要はありません。コスモスでもシクラメンでも、野ウサギでも赤とんぼでも、その人が秋を感じるのならそれで良い。自分を表現する西洋由来の詩歌、例えば現代短歌などなら、秋の悲しさも個人的な思いで良いのでしょう。けれど、同じ五七五七七でも日本の和歌は違うのです。皆が共通に感じることの出来る「悲しき秋」を見つけて詠まなければなりません。自己主張より他者尊重、とでも申しましょうか。どちらが良いか悪いか、ということではないと思いますが、違いを優先するより同じであることを喜び合う文化が、日本には昔からずっとあったのです。今もまだ、日本人の奥底にそれが流れている。だから、晩秋の奥山の散り敷かれた紅葉の上で鳴く鹿の声を聞くと、あなたも私も、なんだかもの悲しい秋を感じることができるのです。(第二歌・了)
猿丸大夫[さるまるのたいふ / さるまるだゆう]生没年不詳
藤原公任が撰んだ三十六歌仙の一人。元明天皇の時代、または元慶年間頃の人物ともいわれるが、伝承は不明。古今集真名序に「大友黒主之哥、古猿丸大夫之次也」とあるのが初出記事。その名も出自も事績もさまざまな説があり、どれも伝説伝承の域を出ない。哲学者の梅原猛は、柿本人麻呂と猿丸大夫は同一人物であるとの仮説を示しているが、これにも有力な根拠は無い。「奥山の〜」の歌は、小倉百人一首(第五番)に採られている。勅撰和歌集には、猿丸大夫として入集歌は無い。藤原公任による『三十六人撰』には、「奥山の〜」に加えて、以下の二首が猿丸大夫の秀歌として採られている。
をちこちのたづきも知らぬ山中におぼつかなくも呼子鳥かな
ひぐらしの鳴きつるなへに日は暮れぬとみしは山のかげにざりける
プロフィール
冷泉貴実子
事務局長 第24代当主為任・布美子の長女。
趣味は海外旅行と絵を描くこと。
陽気で活発な性格で、仕事に、遊びに、イベントにいつも大忙しです!
田中康嗣
特定非営利活動法人 和塾 代表理事。
大手広告代理店にて数々の広告やブランディングに携わった後、和の魅力に目覚め和塾を設立。
日本の伝統文化や芸術の発展的継承に寄与する様々な事業を行っています。詳しいプロフィールはこちらから。