今年、令和六年の冷泉の家の歌会始は睦月20日の開催。私にとっては、ちょうど区切り、40回目の歌会始だった。思えば40年前、冷泉の家での最初の正月、昭和60年の初春は、私にとっても殊の外の新年だった。冷泉の家に入って間もない頃、大病を患っての緊急手術。その年の年末には病院を出られたものの、術後そのままの身体、医療用の網包帯を頭に被せたまま臨んだのが、右も左も分からぬ初めての歌会始だったのだ。もっとも、歌会始では男性は烏帽子を頭に付けるので、この窮状に気付いた人はいなかったとは思うのだが・・・。
兵庫の田舎の商店の息子が、800年の歴史を刻む和歌の家に聟として入り、爾来40年。今年傘寿となった私は、鄙での40年と都での40年を過ごしてきたことになる。その波瀾曲折の八十(やそぢ)の日々は、その初めから、まさに神仏に守られての歳月。ちょうど区切りの歳に、その思いを記してゆくのもまた面白かろうと考えた次第です。これからこの文庫だよりの一隅を借りて、日常の身辺雑事をきっかけに、来し方行く末を綴ってみたい。
プロフィール
冷泉為人
財団法人冷泉家時雨亭文庫理事長 第25代当主。
1984年に冷泉家の末裔である貴実子さんと結婚、婿養子に入る。
どんなに困っていても千年のプライドがあって人にものを頼むことができない冷泉家の人を知った時に「ホンマ、えらいとこに養子に来てしもうたと何度も思いましたわ」と語っている。