もらわれていく日
子猫が博多にもらわれていく日がやってきました。
猫本専門店 書肆吾輩堂の大久保さんが、新幹線に乗って、博多から子猫を迎えにやってきました。
大久保さんは猫本専門店を経営するほどの猫好きで、ゴンチャロフを亡くした後も、モジャ、ちーちー、チロの3匹の猫店員たちと暮らしています。 その日、博多にもらわれていく子猫は、貴実子によって「飛梅太(とびうめた)」と名付けられ、大宰権帥(だざいのごんのそち)という位まで与えられました。
平安の昔、菅原道真は藤原時平との権力争いに敗れ、遠く太宰府へ左遷されることになりました。そして京都を離れる日に、日頃から愛でていた梅の木に別れを告げる歌を詠みました。
東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
すると、梅の花は、道真を慕うように一夜にして太宰府に飛んで行き、太宰府天満宮では今も春一番に花を咲かせているといいます。
都を離れる飛梅太が、筑紫の地で、どうか幸せに暮らせますように、先輩猫達と一緒に元気に大きくなりますように…と、冷泉家で生まれ、ただひとり生き残った飛梅太の幸せを心から祈りました。
お祭り
5月18日は、御霊神社のお祭りです。
御霊祭は平安時代の怨霊退散を目的とした御霊会(ごりょうえ)が起源とされるお祭りで、冷泉家も門を開けて、行列を見送り、お神輿をお迎えします。
夕方、京都御所に入る小山郷・今出川口・末廣の三基の神輿が、冷泉家の前で掛け声と共に高くかかげられます。
お神輿を見送った後は、直会でお寿司をいただくのが習わしとなっており、この年も、冷泉家親族と事務局で、小さな宴を催しました。
爽やかな5月の夕べ、障子を開け放ち、にぎやかな宴が繰り広げられている最中、なんと、にゃん紫がやってきました。子猫を探しているのでしょう。いつも人を怖がって近寄ってこないのに、そして、もう梅太は博多に行ってしまったのに…。そう思うと、最後の子猫も失くしたというのに、母性のままに子を探すにゃん紫が哀れでなりませんでした。
そして、御霊祭の翌日、思いもかけない大事件が起こりました。
この記事を書いた人
余田由香利
事務局では、経理と会員事務を担当。
時々、にゃん紫にチュールをあげるのを楽しみとしています。