白露に 風の吹きしく 秋の野は 貫きとめぬ 玉ぞ散りける
文屋朝康
綺麗な秋の野を詠んだ歌です。典型的な日本の美のひとつですね。といっても単純明快な美しさとは少し違います。露というのは儚い存在ですから、秋の野を吹き抜ける風を受けて、秋草の上に置かれた露がはらはらと散ってゆく。綺麗なんだけれどどこか儚い。
草花といえば、日本では秋の野です。チューリップが咲いて蝶々が飛んでいるヨーロッパの野の景色とは違います。萩とか薄があって、そこに秋風が吹き、虫がすだく。含みを持った日本の秋の景色なのです。蒸し暑く疫病が流行るような厳しい夏が過ぎ去り、涼風が立って少し落ち着いた実りの季節が訪れる。そこには、夏にはなかった落ち着いた美しさがあるのです。野原があって、そこにさまざまな花が咲き、草が生い茂る。その草花の上に露があり、日月を映して光っています。それを月影日陰が宿っていると言います。きらきらと光って玉のよう。そこに野原を吹き抜ける風が流れ、草花の上に置かれた白露が散る。綺麗ですね・・・、というのがこの和歌です。日本の絵画や漆器の蒔絵などにもこうした景色がたくさんありますよ。揺れる草葉と光る白露が描かれている。とても綺麗です。でも、ただ綺麗なだけではありません。
秋と言えば、恋の季節なんです。七夕は初秋にありますね。旧暦の七月八月九月は秋。そのはじめに織姫と牽牛が逢瀬する。だから、初秋七月は、恋の始まる季節。厳しい夏が終わって、そよ吹く風の中、夜空に澄んだ月が姿をみせ、恋が始まる。恋は素敵ですね。けれど恋には苦しいことも多い。日本の歌の世界には、ただハッピーなだけの愛や恋はありません。叶わぬ逢瀬やすれ違いや別れ。それが和歌の中の恋です。恋が始まる秋の向こうに冷たい冬が見えている。喜びの向こうに憂いがある。それが日本の恋。風に吹かれて散る白露がそんな季節を象徴しています。
下の句の「貫きとめぬ」は少し難しいかもしれません。白玉に糸を通して連ねる。それが貫きとめた玉。真珠のネックレスを思い浮かべてください。その糸が解けて、真珠の玉がひとつひとつばらばらになって散ってしまう。それが「貫きとめぬ玉ぞちりける」です。朝なのか夕なのか、日の光か月の光を受けた玉が小さく輝きながらほどけ散っている。とても綺麗な景色でしょ。でも、どこか儚い。憂いを含んだ恋のようですね。
露の命はとても短いものです。秋の野の草花の上の露も、あっという間に姿を消してしまいます。一瞬のことです。だから余計に美しい。儚いからこそ、今が美しい。この歌の美は一瞬のものです。この歌には、そんな日本人の心の中にある秋の綺麗が、少し儚い愁いを含んだ秋の美が、詠み込まれているのです。とても素敵な歌です。
大切なのは、皆が共有できる共通の美が描かれている、ということ。日本の歌、和歌は個人の思いを述べる自己表現とはちょっと違うのです。このことは追々お話ししていこうと思いますが、三十六歌仙の昔から、和歌のその五七五七七の表す世界は、同じ空間で同じ季節を同じ哀しみを同じ慶びを共有する世界のことなんです。明治以降に日本にやってきた違いを優先する自我の表出としての詩歌とは異なるものなのです。世の中にはいろいろな思いや考えがあって良いのですが、共有できる思いや考えがあることも、とても大切です。それを失ってはいけないと思います。だから、今こそ、和歌を学び和歌を感じていたい。この連載では、そんな思いも伝えながら、日本の秀歌を楽しんでいきたいと思います。(第一歌・了)
文屋朝康[ふんやのあさやす]生没年不詳
平安時代前期の官人・歌人。六歌仙の一人文屋康秀の子。寛平四年(892)正月二十三日、駿河掾に任ぜられ、延喜二年(902)二月二十三日には大舍人大允に任ぜられ(『古今和歌集目録』)、後大膳少進に。宇多・醍醐朝の卑官の専門歌人か。「寛平御時后宮歌合」「是貞親王家歌合」の作者として出詠するなど、『古今和歌集』成立前の歌壇で活躍した。勅撰和歌集では『古今和歌集』に一首、『後撰和歌集』に二首が入集している。
秋の野におく白露は玉なれやつらぬきかくる蜘蛛の糸すぢ(古今225)
浪わけて見るよしもがなわたつみの底のみるめも紅葉ちるやと(後撰417)
プロフィール
冷泉貴実子
事務局長 第24代当主為任・布美子の長女。
趣味は海外旅行と絵を描くこと。
陽気で活発な性格で、仕事に、遊びに、イベントにいつも大忙しです!
田中康嗣
特定非営利活動法人 和塾 代表理事。
大手広告代理店にて数々の広告やブランディングに携わった後、和の魅力に目覚め和塾を設立。
日本の伝統文化や芸術の発展的継承に寄与する様々な事業を行っています。詳しいプロフィールはこちらから。