文庫だより冷泉貴実子
やまと歌がたり

冷泉貴実子
やまと歌がたり
第十一歌

聞き書き・田中康嗣

風そよぐ ならの小川の夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける
藤原家隆

人は生き暮らしていると、どうしてもどこか穢れ(けがれ)がついてしまいます。病気になったり、親しい人が亡くなったり、嘘をついてしまったり、人を傷つけてしまったり・・・。だから時々、その穢れを祓(はら)わないといけません。季節が移り変わる時は、穢れを祓う最適の時。新しい時候に穢れを持ち越すのはよろしくないですから。

穢れを祓う儀礼の中に「禊(みそぎ)」といわれるものがあります。身に穢れのあるとき、水でその身を洗い清め、穢れを落とすのです。古くは万葉集に「明日香乃河尓 潔身為尓去(明日香の川にみそぎしに行く)」などとあるそうです。元々は、流れる川などの清浄な水を全身に浴びて身体を清めたのでしょうが、やがて脚や手を水につけることで祓うようになります。下鴨神社のみたらし祭りでは、足つけ神事といって裸足になって境内の池に膝下まで浸かる行事があります。悪いことから「足を洗う」という言い方もありますね。葵祭の斎王代御禊の儀(さいおうだいごけいのぎ)では、斎王代に選ばれた方が手先を水につけて禊をします。神社に参拝するときには、みなさんも手水舎で手を清めますよね。これも、穢れを祓う禊の儀式のひとつです。

祓いの儀礼の中には、人形(ひとがた)、形代(かたしろ)を使うものもあります。これは、人間の形を模したものに穢れを移して祓うというものです。冷泉の家での「夏越の祓(なごしのはらい)」では、ススキの葉二枚を長短に折り、十字形にした人形をつくり、それで身体を撫でて、最後にハッと息を吹きかけます。その時、拾遺和歌集にある「水無月の夏越の祓する人は千歳(ちとせ)の命延ぶといふなり」を三回唱えます。そしてその人形を瓶に張った水の中に投げ入れます。穢れを移した人形は、昔は集めて鴨川に流していたものです。

一年に何度か、それまでに身についた良くないものを取り除き、清らかなカラダとココロで新しい時を迎えるというのはとても素敵なことだと思います。この禊祓いは古くから朝廷や公家の間でとても大切にされてきたことなのですが、今でも習慣として実践している人は随分少なくなっているように思います。何もかも、簡略化、効率化の世の中ですからね。残念なことです。

旧暦の六月の晦日は、一年のちょうど折り返し。夏の最後の一日です。翌日からは七月、つまり秋がやってきます。この時の変わり目は、まさに禊祓いの時。人々は皆、川に出て身を清めたり、穢れを移した人形を川に流したりしたのでしょう。疫病が流行り、食物が朽ちるような蒸し暑い、昔の人にとっては厳しい季節だった夏が終わります。少し季節の変化を感じさせるような風の吹く夕暮れ時に、ならの小川(これは、上賀茂神社の境内を流れる川のこと。楢の木が川岸に生えていたそう。「奈良」の川ではありません)で人々が禊をしている。ああ、夏がおわるんだなあ、と。日本の夏の最後の美を詠んだ秀歌です。

夏越の祓は別名「水無月の祓」。禊を済ませた後は、美味しいお菓子をいただきます。水無月と名づけられた和菓子が有名ですね。白餅や外郎、葛などで拵えた、三角に切られた半透明の素材に上に小豆を載せたものが定番。これは、その昔、宮中で氷の上に小豆や餡子を載せて食べていたことに由来します。冬の間に積もった雪や氷を藁で包んで氷室に寝かせ、夏のさかりにそれを取りだして都に運んでいただいていたようです。日本人は、昔から、氷をそのまま食べることを楽しんでいました。外国では、あまり聞かない食のお楽しみ。水が清らかな日本ならではのことのように思います。身を清めるのも、凍ったものをそのまま食べるのも、清浄なる日本の水あればこその風習なのではないでしょうか。(第十一歌・了)

藤原家隆[ふじわらのいえたか]嘉応1(1169)年〜元久3(1206)年
鎌倉時代初期の公卿、歌人。中納言・藤原兼輔の末裔で、権中納言・藤原光隆の次男。官位は従二位・宮内卿。『新古今和歌集』の撰者の一人。藤原俊成の門弟となり和歌を学ぶ。寂蓮の婿だったという説もある。文治二年(1186)西行勧進の「二見浦百首」を詠む。同四年の千載集には四首の歌が入集。建仁元年七月、新古今集撰修のための和歌所が設置されると寄人となり、同年十一月には撰者に任ぜられる。同時代の藤原定家と並び称される歌人として、御子左家と双璧と評価される。後鳥羽院は「秀哥ども詠み集めたる多さ、誰にもすぐまさりたり」と賞讃し(御口伝)、九条良経は「末代の人丸」と称揚したと伝わる(古今著聞集)。勅撰入集計二百八十四首。
谷川のうちいづる波も声たてつ鶯さそへ春の山風(新古17)
花も葉ももろく散り行く萩が枝にむら雨かかる秋の夕ぐれ(両卿撰歌合)


プロフィール

冷泉貴実子

事務局長 第24代当主為任・布美子の長女。
趣味は海外旅行と絵を描くこと。
陽気で活発な性格で、仕事に、遊びに、イベントにいつも大忙しです!

田中康嗣

特定非営利活動法人 和塾 代表理事。
大手広告代理店にて数々の広告やブランディングに携わった後、和の魅力に目覚め和塾を設立。
日本の伝統文化や芸術の発展的継承に寄与する様々な事業を行っています。詳しいプロフィールはこちらから。

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