文庫だより冷泉貴実子
やまと歌がたり

冷泉貴実子
やまと歌がたり
第三十一歌

聞き書き・田中康嗣
写真・吉田亮人

さくらばな 咲かばまづ見むと 思ふまに 日数へにけり 春の山里
藤原隆時

冷泉の家の庭には桜の樹があります。南東の今出川通に面した塀の中に植えてあります。この桜、毎年とても早くに花を開きます。京都でも一、二を争う早咲きです。外の通りを行く人々からもこの桜は見えますから、京都のさくらの開花を告げる象徴的な桜として有名に。京都新聞社が毎年取材に来て、紙面に大きく掲載します。開花の頃は、ちょうど卒業式のシーズンですから、着飾った卒業生たちがこの桜をバックに記念写真を撮ったりする。土塀の後ろから満開の桜が枝を広げ、背後には同志社大学の煉瓦造りの建屋があって、とてもフォトジェニックなのです。ちょっと自画自賛ですが・・・。街の人々が楽しみ待ってくれる我が家の桜です。

桜というのは不思議な樹ですね。皆が開花を待っている。季節になると気象庁が開花予想を発表します。正式な国家機関が花の咲く日を公式に発表するなどということ、日本以外であるのでしょうか。発表を受けて人々はその日が来るのを今か今かと待つことに。桜前線を眺めながら、昨年より早いとか遅いとか、京都より東京の方が早いのだとか、楽しい話題が尽きません。できるだけ早く見たいからと、河津桜など早咲きの桜を目的に遠出する人までいます。昔から、桜は本当に皆が待っている。他の花はここまで待ち望まれることはないように思います。なぜなのでしょう。

桜には他の花にはない霊性のようなものがあるように感じます。清冽で無垢なイメージ。神々の存在を感じるような印象。民俗学者の折口信夫によれば、古来日本人は桜の花を眺めて、その花で稲の実りを占ったといいます。桜は春になると山から下りてくる田の神の依り代で、人々が桜の樹の元に集まって作物の豊凶を占ったのが花見の起源だというのです。有史以前から、桜はどこか神聖を帯びていた。その桜の神といえば、木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)。古事記によれば、この神さまは、天照大御神の孫である邇邇芸命(ニニギノミコト)との間に火照命(海幸彦)・火須勢理命・火遠理命(山幸彦)を生みました。この火遠理命の孫が初代天皇の神武天皇です。木花之佐久夜毘売は富士山の浅間大社の主祭神で、浅間大社のご神木は桜です。その後、万葉集にも古今集にも桜の花はたくさん詠み込まれています。続古今和歌集には西行による有名な歌がありますね。「願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」がそれ。桜の花の下は聖なる場所だったのです。

もうひとつ、今はもうそんなことは許されませんが、昔の人は桜をよく折り取った。万葉集には大伴家持の歌「春の花 今は盛りに 匂ふらむ 折りてかざさむ 手力もがも」が、古今集には素性法師の「見てのみや 人にかたらむ 桜花 手ごとに折りて 家づとにせむ」がありますね。源氏物語にも椎本に「つてに見し 宿の桜を この春は 霞隔てず 折りてかざさむ」という和歌が出てきます。昔の人は、桜花を折って身に付けたりお土産(家づと)として贈ったりしたのです。これもまた、その花がただ美しいだけではなく、どこかに聖なる力を感じていたのでしょう。

他の花とは違って、桜には人々を引き寄せる不思議な力があった。だから皆、その開花を待ちわびた。「白河院鳥羽におはします時、人々、山家待花といへる心をよみ侍りけるに」という詞書きのあるこの歌も、開花を待つ人の心を詠んだ一首。桜の花が咲いたら真っ先に見ようと思って待っている間に、随分日数が経ってしまったなあ、と。何日も何日も、今か今かと桜が咲くのを待っている、どこか清らかで侵しがたい心根を感じる歌です。(第31歌・了)

藤原隆時[ふじわらたかとき]
平安時代後期の貴族・歌人。藤原北家良門流、右衛門佐・藤原清綱の子。藤原兼輔の末裔。官位は正四位下・因幡守。六位蔵人を経て、白河朝末の応徳3年(1086)従五位下に叙爵。翌寛治元年(1087)因幡守、寛治6年(1093)但馬守と受領を歴任する一方、この間の寛治2年(1088)従五位上、寛治7年(1094)従四位上と昇進し、嘉保2年(1095)正四位下に至った。高階為章(たかしなのためあき)とならぶ白河上皇の寵臣で、院別当をつとめた。富裕で京都の屋敷内には5棟の倉があったという。嘉祥元年(1106)ごろ死去。勅撰歌人として『新古今和歌集』に1首の和歌作品が入集している。



プロフィール

冷泉貴実子

事務局長 第24代当主為任・布美子の長女。
趣味は海外旅行と絵を描くこと。
陽気で活発な性格で、仕事に、遊びに、イベントにいつも大忙しです!

田中康嗣(たなかこうじ)

特定非営利活動法人 和塾 理事長。
大手広告代理店にて数々の広告やブランディングに携わった後、和の魅力に目覚め和塾を設立。
日本の伝統文化や芸術の発展的継承に寄与する様々な事業を行っています。詳しいプロフィールはこちらから。

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