秋風に たなびく雲の 絶え間より もれ出づる月の 影のさやけさ
藤原顕輔
お月さんには都があります。その都には月宮殿という王宮があります。王宮のお庭には桂の木が植えられていて、桂男という絶世の美男子が住んでいます。かぐや姫が帰ってゆくのもここ。宮殿も桂の木も男も姫も、清く美しいものの象徴。昔、日本に住み暮らす人々は皆、月の都に憧れ、その清浄なイメージに真実の心を写したものです。だから子供たちも満月が天空にあれば「まんまんちゃあん」と拝み奉ったのです。
科学技術が飛躍的に向上して、月面に人類が降り立つようなことになりますと、そのような清く美しき物語も遙か彼方、お月さんの向こうへと消し飛んでしまいますが、それでも尚、私たちはお月さんが大好きですよね。中秋の名月を迎えると、ススキを飾り月見団子(冷泉の家ではきぬかつぎ=里芋の小芋を皮付きのままで茹でたもの)を供えて空を見上げ、皓々と闇夜を照らす月光に感嘆の声をもらします。そんな人は、今ではもうかなりの少数派かも知れませんが、興が乗れば和歌を詠んだりいたします。月と人間の関係が、この国では本当に深かった。
西洋のお月さんは様相が異なります。あちらでは、満月の夜には狼男が現れ人々に襲いかかる。魔女や悪魔が集まるのも吸血鬼が出没するのも満月の下のこと。ローマ神話の月の女神ルナが語源のlunaticは、狂気や常軌を逸したことを表します。以前ギリシャを旅した折、アクロポリスを見上げるレストランでとても綺麗な満月に出逢ったことがあります。それはそれは本当に美しくて思わず声をあげたのですが、まわりにいた西洋の方々は、何の興味もないようで、ビックリしたことを覚えています。月に対する思い、洋の東西でとても違う。不思議なことです。
その美しさ清らかさを崇拝するだけではなく、月は日本の生活の基準でもありました。例えば月日の進行。月の満ち欠けがその基準となり、日本人は月を見て暦を認識しました。
晴天の夜なのに月が顔を出さない、いわゆる新月の日が月の初め、一日になります。夕方、西の空に太陽が沈んだ後に現れる鎌のような月が三日月で、この月が出ると今日は3日だと分かります。3日だから三日月が出るのではありませんよ。これがだんだん大きくなって半月になる。7日か8日の月です。7月7日、七夕の日の月はこの半月。舟にもなる月ですね。さらに一週ほどするといよいよ満月が昇ります。十五夜の月です。この月は、太陽が西に沈むと同時に東の空に現れます。夜の間中ずうっと輝いて、明け方西の空に沈んでいきます。その後は日を追って月の出が遅くなります。満月がほんの少し欠けるとそれが十六夜の月。十六夜と書いて「いざよい」とよむ。「いざよう」というのは、グズグズするという意味ですから、十五夜より月の出もグズグズ遅い。17日の月は、それよりまた少し現れるのが遅いので、立って待つ立待月。18日は立って待ってはいられないから座って待つ居待月。翌19日になると横になって待つ臥待月(ふしまちづき)。その後、月はどんどん欠けていって、25日も過ぎた頃には三日月と反対の鎌の月になります。この頃は月の出がとても遅くなっているので、東の空に月が昇ったらすぐ後につづいて太陽が昇ります。ですからあっという間に月は見えなくなります。明け方に短時間だけ目にすることができる有明月(ありあけづき)です。月が有るままで夜が明けるから有明月。そうしてまた月が夜空からなくなってしまう。その周期が29日間か30日間。一ヶ月というのは月を基準に巡っていたのです。
清く美しい美の基準でもあり、時間の流れを司る存在でもあったお月さん。日本の文化にとってなくてはならないものですから、和歌にもたくさん詠まれています。特に秋の歌には月を詠むことがとても多い。この歌もそう。澄み切った月光が秋風で流れゆく雲間から顔を出します。誠に清浄な、憧れて拝むに値する見事なお月さんを詠んだ素敵な一首です。(第36歌・了)
藤原顕輔[ふじわらのあきすけ]
平安時代後期の公家・歌人。寛治4年(1090)「六条藤家」を興した藤原顕季(ふじわらのあきすえ)の三男として生まれる。康和2年(1100)叙爵。白河院判官代となる。元永元年(1118)正四位下に昇る。大治2年(1127)讒言により白河院の勘気を蒙って昇殿を止められるが、白河院崩御の翌年(1130)中宮亮に任ぜられ、崇徳院后聖子に仕え、再び昇殿を許される。保安3年(1122)、従三位。左京大夫などを兼ねる。久安4年(1148)、正三位。久寿2年(1155)没。
和歌に秀でた人物で、永久4年(1116)の鳥羽殿北面歌合・六条宰相家歌合や久安6年(1150)の「久安百首」など多くの歌合に出詠。自ら主催した歌合も多い。父から六条藤家の象徴である人麻呂影供(ひとまろえいぐ)を受け継ぎ、やがて歌壇の第一人者となり、天養元年(1144)崇徳院より勅撰集撰進の院宣を下され、仁平元年(1151)に『詞花集』として完成、奏覧する。家集に『左京大夫顕輔卿集』がある。金葉集初出。勅撰入集八十五首。
梅が枝にふりつむ雪は鶯の羽風に散るも花かとぞ見る(千載17)
高砂の尾上の松に吹く風のおとにのみやは聞きわたるべき(千載652)
たのむれど心かはりて帰りこばこれぞやがての別れなるべき(千載483)
たれもみな花の都に散りはててひとり時雨るる秋の山里(新古764)
暮の秋月の姿はたらねども光は空にみちにけるかな(顕輔集)
プロフィール
冷泉貴実子
事務局長 第24代当主為任・布美子の長女。
趣味は海外旅行と絵を描くこと。
陽気で活発な性格で、仕事に、遊びに、イベントにいつも大忙しです!
田中康嗣(たなかこうじ)
特定非営利活動法人 和塾 理事長。
大手広告代理店にて数々の広告やブランディングに携わった後、和の魅力に目覚め和塾を設立。
日本の伝統文化や芸術の発展的継承に寄与する様々な事業を行っています。詳しいプロフィールはこちらから。
























































































